2009年7月14日 (火)

フランス切手の 「BOITES MOBILES」 消印

ジョージさん、今回はそれ程重要ではありませんがちょっと不思議な発見をしたテーマ=フランス切手の 「BOITES MOBILES」 消印=所謂、移動郵便箱に関する消印について紹介します。

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この制度は1862年に郵政当局の通達によって導入されましたが1865年になって漸く一般的になりました。 その要旨は郵便局の無い僻地からの郵便物を取扱うため、古くは郵便馬車(上図参照)、またローカルの鉄道車両などに取り外し可能なポスト(移動郵便箱)を設置してその地域の郵便路線の各ポイントで回収、分類、配送、ポストの再設置などの作業を行う制度でした。 当初は CACHET 15 と CACHET 22 の二タイプの日付印(二重丸の上部に局名、下部にBOITE MOBILEの文字かその略字を入れたもの)が証示印として使用されました。(抹消は[点描菱形に数字]の印) 

しかしやがて1867年になるとこれ等日付証示印は廃止されてしまい、もっと簡単な、楕円形の中に B M という BOITES MOBILESの頭文字を入れた印が採用され1910年頃まで長期間使用されました。 理由はあくまで推定ですが、費用の節約ではないかと思います。 もっとも長い間使用されたと云っても数は多くはありません、と云うのは同時期にかの CONVOYEURS STATION と CONVOYEURS LIGNE の印を使用する制度が始まっていたからです。 (LOCAL な鉄道線での郵便物の集配にはかなりオーバーラップする部分があったからだと思います) 下記にそれ等の印影並びに私蔵の実例と文献からの参考使用例を紹介します。

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さてジョージさん、最後にこのテーマに関して、いささかミステリアスな、サージュ切手関連での新発見の事実をお知らせします。 その内容は下図に詳しく説明を載せていますので、参照してください。 また他の2枚の参考図も掲載します。

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上図のArmand MATHIEUの消印評価カタログを、ジョージさんも一度くまなくチェックしてみてくだされば、この二種類の消印評価がMARSEILLE以外には見当たらないことが判ると思います。 私蔵のサージュ切手消印コレクション数千枚のなかにも上に紹介した僅か2枚しかない不思議な消印の切手です。

このテーマの記事はこれにて終了とします。

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2009年7月10日 (金)

オーラを放つ逸品・その29

*前回のオーラ記事はエキゾチックなフランス船内印・・一転今日は渋い不統一印です・・

どれをみても、みな珠玉のような逸品ぞろいです。 小判切手の収集家ならば何時か自分も一点でもいいから欲しいと願う不統一印、それを5点も揃えながら、なおも増やす事を願って止まないジョージさん。 飽く事のないその情熱には脱帽です。・・・・・

[ 以下、週末恒例のジョージさんの投稿記事です ]

オーラを放つ逸品

旧小判と不統一印

データ:

2銭狸E紙 11S×9S  紀伊日(足) 

1銭黒E紙 10 一色検 

2銭狸無地紙 9s 中戸次 

4銭青緑無地紙 10 小田 

1銭黒薄紙 11 郵便/底倉証  

 私が、旧小判を集めてみようと思った動機は、紙質や目打が実にバラエティ豊かで、4銭切手に代表されるように刷色の変化も楽しめるからです。 それともう一つの理由は消印の豊富さでした。 特に不統一印は一つひとつの印影が自己主張をし合うように全く別の顔を持っており、とても魅力的でした。 当時は1枚だけでも欲しいものだと憧れていたものです。 いつの間にか5枚も集まってしまいました。 それが今では、あと5枚は欲しいなと欲張るようになってしまいました。 以下に私が所持している切手を紹介しますが、入手した順の並びにいたしました。

 ・・・最初に入手したものが 紀伊日足です。 この切手を入手するまでに、何回か狸の不統一印を見てきました。 安いもので5万円、高くて15万円くらいが相場でした。 完影ではありませんでしたが、国名が分かるのでちょうどいいと思い、6万円で落札しました。(ジャパン)  

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次に落札したのが 一色検でした。 台の色が黒なので白抜系の印影がよく目立つものが欲しかったので、かなり思い切った値段で入札し、10万円で落札しました。(MSA)

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中戸次は郵便局沿革録と記番印カタログで、不統一印の条件に合うことを確認しての落札でした。 ちょうどこの時期に、郵便局の開局日から小判切手に不統一印が使われたかを調べ、記番印カタログで局の記番印がないことを確認するという方法を身につけたので、殊更うれしい入手品となりました。(32000円 日フィラ) 

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小田は日専のカラー広告に出ていたものがそのままオークションに出品されていたので獲りました。 小田は4銭によく見かける印だと思っていましたが、あとで不統一の朱印は未納不足印として代用されていたことを知り、4銭によく見られたわけが納得できました。(145000円 タカハシ) 

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郵便/底倉証は去年ヤフオクで見かけました。 局の印影も文献で確認でき、本物と判断して入札しました。 出品者の説明に、『裂け有り』とあり、値段もそこそこだったため、最低値の10万円での落札になりました。 肝心の裂けですが、言われなければ分からないほどのごく小さなものでした。 表からでは画像を拡大しても見えないくらいです。 エスパルト紙ほどではないですが台切手の黒がやや薄めなので印影がはっきりと確認できるのもうれしいです。

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 ・・・今後、入手を狙っているものは、まず、4銭の真の不統一消。 あとできれば、他の額面で1枚。 それと1銭黒を全て不統一印で揃えようというとんでもない野望を持っています。 壮年よ、大志を抱けの志(こころざし)です。

ヒロジージの追記

記事中4番目の朱印・白抜け[ 小田 ]は横位置なのでちょっと判別し難いのが正直残念ですが、それでもそんじょそこらに転がっている代物じゃありません。 この小田局は播磨国・加東郡の小田で明冶9年から10年にかけて同じ白抜き朱印 [ 上小田 ]を使用していた上小田局が明冶11年半ばに小田局となったのです。 この5等局が何年間この朱印を使用したかははっきりしません。この時代の「小田」と云う名の局は全国で6箇所ありますが、朱印・白抜け印は播磨国・加東郡の小田局のみです。 下図は切手名鑑からちょっと借用転載した、[ 上小田 ]局の印影です。 ここでも一点は横位置ですが、四角い印は向きを間違い易いのかもしれません。 (この2枚の現在の持ち主には掲載許可をいただいていませんがお許しいただけるものと信じております。)

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2009年7月 8日 (水)

フランス切手の 「ORIGINE RURALE」 消印

ジョージさん、今回のテーマは一連のシリーズで紹介漏れとなっていた、フランス切手の 「ORIGINE RURALE」 消印についてですが、資料も少ないので極簡単に述べたいと思います。

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この消印は上図に説明するように [ POSTE RURALE ] 所謂僻地での郵便集配に関する消印類の中の一つです。「ORIGINE RURALE」 の消印1836年に導入され1912年まで使用されました。 農村など僻地を巡回する郵便配達人に差出人が直接手渡したときにのみ使用され、この印で切手を抹消した時は郵便局を経ずに直接宛名人に送られる規則になっていたそうです。 しかし実際には余白に証示印として押され、後管轄局の抹消印が使用されるケースの方が多く見られます。 直接この印で抹消されたエンタイアは希少で高価です。

下記にサージュ以前の使用例と評価表、並びにサージュ切手の使用例及び種まき切手のエンタを紹介します。

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上図種まき切手のハガキはその典型的な使用例だと思います。差出人は GRAINVALのHOTEL に宿泊中の女性(多分)で,丁度ホテルに配達に来た郵便局員(多分FECAMP局)に直接ハガキを手渡し、FECAMP 在住の女性 (娘か?) 宛に送ったと推理しました。 文面は印刷物扱いなので簡単に “ BONJOUR DE GRAINVAL MAMA ” とだけ書かれています。 慣用句なのか、正確な意味は解りませんが “ こんにちは、GRAINVAL にて ママ ”くらいの意味かな? どなたか詳しい人の助言が欲しいです。

さて下図は 「BOITES RURALES」 云ってみれば田舎の郵便ポストでしょうか。 日本にも函場印が使用された制度がありましたが、同じようなものでしょう。 通常は円の中に A、B、C、・・・>H 等、設置数に伴ってアルフアベットで表現されています。 ここに載せたのは四角の中に [ ] で変ったものですが、推定ですが料金受取人払いの時のものかな? とちょっとあやふやな解釈です。 大きなダブlルの線書き数字は郵料不足印で1850>1859年の間、不足切手が採用されるまで使用されていました。

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「ORIGINE LOCALE」 に関する資料は残念ながら所有していませんので、説明だけになりますが、この印は1868->1900年頃までと長期間使用されています。 地方都市の一定地域で郵便配達人に直接手渡した郵便物に押され、該当地域の郵便局を経ず、直接受取人に配達されるのが規則でした。 想像するに、郵便配達人がこれから回る地域を知っている差出人が直接郵便物を持って行ってもらう時に使用されたのだと思います。 この印は [ OR ] 印よりは一般的と云われていますが実感からすると少ない様な気がします。

このテーマの記事はこれにて終了です。 次回は「BOITES MOBILES」 即ち「移動郵便箱」について紹介したいと思います。

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2009年7月 6日 (月)

再びブログのテーマについて (2009/7/6 ・更新)

このブログのテーマについては、その経過を常に更新公開したいと努力しておりますのでこのページをご覧いただくようお願いします。 先週テーマに行き詰まって悩んでいると述べましたが、ジョージさんの要望もあってサージュ無目打切手の使用例を掘下げて解説することにしました。 これでまた数週間は続けることが出来るでしょう。 かっての植民地であったフランス領各地での使用例を予定リストに掲げましたので、興味のある方はご覧になってみてください。

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2009年7月 3日 (金)

オーラを放つ逸品・その28

  *新たな企画の「オーラ記事」です・・・・・

毎週のジョージさんの投稿記事も30回に迫る人気ぶりですが、予ねてからその収集されておられる素晴らしい小判や菊切手の単片にまつわるいろいろな話を記事にして欲しいと願っていました。 このブログ開設の初期、選り抜き一種一点などでその一部が紹介されましたが、この新企画ではもっと掘り下げた解説(貴重な情報である入手時の市価状況など)と詳細な画像が期待されます。

[ 以下、週末恒例のジョージさんの投稿記事です ]

オーラを放つ逸品

フランス船内印

紹介する4点のデータ:

①旧小判5銭エスパルト紙11s×9s横連 八角3 OCT 80 YOKOHAMA PAQFRS. 3 

旧小判10銭 ワラ11  22 DEC 83 LIGNE S PAQFR 2 

新小判10銭 P13 八角 30 SEPT 90 LIGNE N PAQFR 2  

菊15銭 P12 八角 12 JUIN 10 LIGNE N PAQFR 8 

 以前にも書きましたように、単片での紹介は難しいです。 何度か試みたことはあるのですが、どうしても1枚の切手だけでは短文にしかなりません。 ところが、以前、離島・僻地の切手を複数で紹介したときはけっこう書きやすかったことを思い出しました。 そこで、数枚の切手をテーマに基づいて紹介をすることを思いつきました。 どのようなテーマを設定するのかは全く未定ですが、挑戦してみることにします。 単片シリーズの第1回目は日本とフランスの架け橋ともいうべきフランス船内印を紹介します。 ・・・フランス船内印は明治時代から昭和時代にかけて幅広い年代に見られる消印です。 それでいて数は少なく、姿は美しい。 自分としては日本のどの欧文印よりも好きな消印です。 印の形は初期の頃から八角形と円形があります。 表記の仕方は円内に年月日が、外周には船の便号らしきものやパクボーの略字などが見られます。 私の手元には1880年~1910年までの印影が集まりました。 フランス船内印はその独特の形から相当の薄消でもそれと判別できますが、私は日付が読め、外周のデータもできるだけ判読できるものを好んでコレクションに入れています。 将来はヒロジージさんのサージュにおける消印の分類を真似て、タイプ別の分類を試みたいと密かに思っているからです。 (実現するのは死ぬまで無理のような気がしますけど。) 

まずは以下の画像をご覧ください。

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は完影の逸品です。 外国郵便の始まりが1875年と言われていますから、日本における船内印使用例としては比較的初期の印影のような気がします。外周にYOKOHAMAの文字がしっかりと読みとれるのも魅力的です。(145000円 タカハシ)  

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②③はフランス船内印の台切手としては最もありふれた額面です。 外信便の基本額面ですからフランス船内印は実逓便として通用していたことがこの事実からも分かります。 (2万円 不明 23000円 ジャパン)  

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は珍しい額面に満月印です。 オーダーキャンセルかもしれませんが、ここまできれいだといくらお金を支払ってもあとで後悔することもありません。 (72000円 ジャパン) ・・・ところで、フランス船内印にはパクボーの表示があります。 本来、船はフランス国籍のはずですから、船内で投函すれば日本の切手は使えなかったはずです。 ひょっとしたら、船の桟橋の端にポストを設置して日本からの郵便を受け付けてくれたのでしょうかね。 

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2009年7月 1日 (水)

「フランス船内局印とフランス切手のパクボー印」その(4)

ジョージさん、今日はこのシリーズの最後のテーマ (4) フランス切手上に見られる外国印・所謂「パクボー印」 について話を進めたいと思います。 先ずお題にある*所謂「パクボー印」なる言葉ですが、これについて述べている下記の記事を引用します。・・・・

「日本郵便印ハンドブック2008」(日本郵趣協会発行)

346頁 4-3船関連郵便印 より抜粋

* { 船内において投函された郵便物の扱いについては、1892年(明治25)のUPUウィーン条約に定められている。 以下、佐々木義郎「PAQUEBOT<船内投入郵便>」『フィラテリスト』14巻121ページ(1982年)を参考に解説する。 船内において投函された郵便物は、公海を航行中はその船が属する国の郵便切手を貼り、寄港地の領海内や碇泊中には、その寄港地の国の郵便切手を使用することが定められている。 このようにして投函された郵便物に船内郵便局で使用したのが船内郵便局印、陸揚地の郵便局で使用したのが船内投函郵便印である。 なお、船内郵便局は寄港地の領海に入ると閉局されるので、寄港地領海内航行中および寄航中に投函された郵便物には、船内投函郵便印が使用された(青木四海雄「船内局と船舶局」『フィラテリスト』第1巻73ページ(1969年))。 船内投函郵便印には、UPUの公用語であるフランス語で郵便船を意味する「PAQUEBOT」が表示されている。 } *

ここでは PAQUEBOT郵便船を意味すると述べていますが、この語の本来の意味は「客船」、「商船」といった大型の大洋を航行する船の意で、他にBATEAU(小型船) NAVIRE(軍艦などの場合に使われる)の語もあります。 1850年代頃は植民地や諸外国との交易に従事した大型の船も郵便物の搬送が大きな比重を占めていたため、狭義の意でPAQUEBOT郵便船と解釈されたのではないかと私は思っています。 フランスの船内郵便局の抹消印、例えば LIGNE N  PAQ.FR. No.10 等の意はN航路 フランス船10番(郵便船ではない)に設置の郵便局(船名では長くなるので番号で表示)と解釈すべきと思っています。 このUPUの規約が浸透してからは船内投函郵便(そのほとんどが郵便箱の設置のみで船内局を持たない船舶から陸揚げされた郵便物にはPAQUEBOT」の特別印が押され陸揚げ地の引き受け局で抹消されるのが通常となりました。 しかし前々回に取り上げた日本切手に見られる1880年代前後―>1900年代初頭にかけてのフランス船内局印はこれとは全く逆の話で、当時日本に在留したフランス人の便宜のため、あえて船内局に(寄港中にもかかわらず)郵便物の投函ができるようにしたと云う事実が幾つかの文献に述べられています。

さて、話が若干それてしまいましたが、1880年代前後―>1900年代初頭にかけてフランス切手上(特にサージュ切手)に見られる外国の消印は英国のものがほとんどですがその数はとても少ないです。 仏、英国間には1800年代後半に交わされた郵便条約があり、その中の一つに仏英間の小型船航路に設けられたBOITES MOBILE (Mobile Boxes)=船内の移動郵便箱に出港前及び航海中に投函された郵便物を到着港の局で抹消するのに特別の(八角形や円形で中央にM.B.の記号 [MOVEBAL BOXの略] がある) 採用されることになりましたが、LONDON、SOUTHAMPTON、JERSEY などでそれが見られます。(印影を下図に示します)

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下記地図は英仏海峡を挟んで関係する港町や市の場所がわかるよう参考に載せました。

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これ等のあとに採用された、変化した印を私蔵の実例でいくつか紹介します。

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最後に貴重なサージュ切手に、希少なLIVERPOOLの消印のあるパクボー扱いの使用例を紹介します。 この切手は忘れもしない、唯一私が切手商の張り込み帳から掘出した逸品です(当時で200円位)。今から20年以上も前の話ですが。

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これで、このシリーズのお題は全て終了しますが、後はなにをテーマに取り上げてよいか、少々種切れの感は否めません。 悩みの種です。・・・・・

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2009年6月29日 (月)

「フランス船内局印とフランス切手のパクボー印」その(3)-4

前回に、力を入れていた LIGNE N、S についての記事が済んだら少々気がぬけてしまい、今日のこの記事は少々おざなりになりなって仕舞いそうです。 アルフアベットの航路表示で残っている LIGNE A、B、C、D ->Lのカリブ海関連とLIGNE Hの LE HAVRE<->NEW YORK航路については極簡単に説明するに留めたいと思います。 下図は それ等のおーまかな航路図と航路明細のリストですが参考にはなると思います。

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上図の航路で実際に使用された消印の印影を下記に記載します。

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以下私蔵の実例をいくつか参考に紹介しますが、貴重なサージュ切手の使用例は LIGNE C が一点だけあります。 その他は各実例に説明をつけていますので、それで大体の背景はご理解いただけると思います。

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一応これで(3)の章は終了し、次回は最後の章 (4) フランス切手上に見られる外国印・所謂「パクボー印」。 についてご紹介する予定です。

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2009年6月26日 (金)

オーラを放つ逸品・その27

  *これぞほんもの。 異論はありません・・・・・

そうです。 これぞ真のオーラを放つ逸品です。 もちろん、私も初見の抹消印です。 その消しの鮮明で姿の好いこと! まさに云う事ない逸品です。・・・・・・・

[ 以下、週末恒例のジョージさんの投稿記事です ]

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オーラを放つ逸品

記録を更新することのうれしさ

データ:菊軍事3銭貼櫛型SHANHAIKWAN9.1.12 I.J.P.A

→岐阜・竹ヶ鼻45.1.14
 これはつい先頃のヤフオクで入手したものですから、ご存知の方もおありかと思います。 このエンタの消印が欧文印だったので、中国の使用例と考え、一応の入札値で仮押さえをしました。 まあ、犬が電柱にオシッコをひっかけてテリトリーを主張するようなものですね。 今まで菊軍事のエンタを2通ほど入手しましたが、ありふれた消印だと、すぐに飽きてしまって手放してしまいます。 やはりそれなりのプレミアムがないと、ゼネラルでも面白みがありません。 この時点では、普通の山海関の使用例として気楽に考えていました。 ・・・そして、いつものように山海関の櫛型欧文印について文献で調べました。 すると、普通の山海関局はC欄 I.J.P.Oであり、C欄 I.J.P.Aは灤(らん)州という山海関の出張所であることが分かりました。 わずか1字違いが何倍もの価値の違いになるのですから、切手収集は奥の深いものです。 この局では、普通の櫛型印と中国特有の時刻入り櫛型印とが一時期は混在し、しかも普通の櫛型印は確認されている使用期間がわずか6ヶ月間でした。 確認されている印はゴム印だけです。 最初期使用例は1月29日と記載されていますから、このエンタは記録を20日更新しています。 加えて開局の公示はなかったらしく、脚注には「秘密局らしい」とまで書いてありました。 以上のことから考えると、この使用例は日本中にも、ほんのひと握りしか存在せず、しかも最初期使用の記録更新というとんでもないプレミアムがついていることを知りました。 この時点で、気楽な入札値が落札希望値に様変わりしたのは言うまでもありません。 終了の2時間前に一度高値更新されました。 入札された方の評価履歴からこの方の収集分野を見てみますと、中国の軍事郵便や中国での使用例を熱心に集めておられることが想像できました。 このような逸品はこの方のコレクションにあるべきと考え、一時は身を引こうと思ったのですが、消印の魅力に抗しきれず、再入札してしまいました。 もし、それ以上の値段を入れてこられても再々入札などという失礼なことはいたしません、と誓ったことは申すまでもありません。 結果は、その後誰の寄り付きもなく、103000円で落札できました。 ・・・エンタの差出人は山海関派遣隊に所属する軍人さんでした。 

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どうもこの局は兵営内に設置されていたような気がします。 また、切手には髪の毛が挟まれています。 (拡大して見てください)

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偶然ではなく、軍人さんが何らかの意図をもって、髪の毛を送られたのかもしれません。 異国での軍事行動でどのような任務に就かれていたのか、残念ながら私の平和ボケした頭では想像すらできません。 それにつけても、近年のイラクを例にとっても分かるように、戦後処理の難しさという歴史の重みがズシリと伝わってくるエンタではあります。

ヒロジージの追記

本日アクセス数が目出度く 20,000の大台にのせました。 これも一重にジョージさんはじめ読者の皆様の熱いご支援のお陰と感謝しております。 この記念すべき日にこの素晴らしい「逸品」を投稿くださってブログを飾っていただきとても嬉しく思っております。

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2009年6月23日 (火)

「フランス船内局印とフランス切手のパクボー印」その(3)-3

ジョージさんお待たせしました。 今回は日本に関係が深い LIGNE N と LIGNE S について話を進めたいと思います。 第二帝政下のフランスは1858->1862年にかけてベトナムに進出しフランス領 COCHIN CHINE(コーチ シナ)と呼ばれた一帯を殖民地としたのですが、これに伴って出現したのが前前回取り上げたインドシナ航路です。 この航路が後に LIGNE N となったのですが、1869年にスエズ運河が完成し翌1870年から MARSEILLE<->HONG KONG の航路が直通で運行されるまでは、郵便物は一旦エジプトの ALEXANDORIA で陸揚げされ CAIRO 経由でSUEZまで鉄道で運ばれ、SUEZから再び海路で輸送される方法がとられていました。 下図は LIGNE N,S のおーざっぱな航路図と航路明細のリストですが参考にしてください。 これはフランスの郵便船の航路のみですが、19世紀の強大な海運国であった英国のP&O商船もほぼ同じような航路を運航しており、当時はM.M.よりはるかに多い配船をしていたようです。

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さて、M.M.のこのルートの船内局印の変遷について私蔵の実例を紹介しながら述べていきますが、情けないことに肝心のサージュ切手の使用例が、このルートのみならず全体でも極端に少なく僅か2、3点です。その理由はよくわかりませんが、植民地との間の航路は植民地切手が使用されたのと、東洋への航路ではフランスの横浜局が1880年に閉局となる前後同局でのサージュ切手の使用例は僅か数例に過ぎないと云われていますので、サージュ切手の配分そのものが少なかったのでしょう。 またその後の UPU の取り決め(1892)により寄港地及びその領海では船内局は閉局され、船内投函郵便にはその国の切手を使用すべきと定められたのも影響しているのかもしれません。 日本の小判、菊切手に多くこのフランス船内局印が見られる理由もここにあると思われます。 下図はこのルートで確認されている船内局印の大体の印影を記載したつもりですが、1865年頃のインドシナ航路の船の印影が判りません。 また印影が円形から八角形に変った理由や正確な時期などな全く判りませんし、同時期に両方のタイプが使用されているのが確認されています。 また何故朱印が存在するのかも残念ながら不明です。

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以下印影を確認できる使用例を私蔵の実例及び文献やオークション・カタログ等で所見されたものを紹介します。 初期の円形の消印を語るのにはどうしても欠かせない日本切手の小判や菊の使用例は、現役で日本切手に夢中だった頃には高嶺の花でついぞ入手出来なかったのですが、今回、切手名鑑に記載されている4点ばかりを参考画像として下図に載せました。 無論現在の所有者(何方かわからない)の許可は得られていないのですが、お許しをいただけるものと信じております。

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次回はLE HAVRE<->NEW YORK航路やカリブ海関連の航路にたずさわったCompagnie Générale Transatlantique の船内局印について紹介したいと思います。 お楽しみに。・・・・・・

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2009年6月19日 (金)

オーラを放つ逸品・その26

  *ひとの欲望には限りがない・・ なーんてまた呟いてみたくなるお題です・・

今週もまた一声足りない「逸品?」だと嘆いてみせるジョージさんです。 時代もぐっとさがった昭和の二二六事件のような大事件の一報でも欲しかったのでしょうか?・・・・・・

[ 以下、週末恒例のジョージさんの投稿記事です ]

オーラを放つ逸品

旅の旅情に最も似つかわしくない差出人

データ:新小判4銭貼 丸一印鉄道郵便東京前橋間29.3.11上りニ便→大宮郷

 日付印の中で最も旅情を思い起こすものといえば何と言っても鉄道郵便でしょう。 車窓に映る景色の変化を楽しみながら筆をしたため、名も知らぬ駅のポストに投函する。 さながら映画のワンシーンのような情景です。しかしながら実際にこのように旅先で投函された鉄道郵便印は稀なような気がします。 鉄道郵便は家や会社の中で書かれ、汽車に乗るついでに、たまたま駅のポストに投函されたものか、建物から最寄のポストが駅にあって生活の一部としていつも利用している例がほとんどなのでしょう。 ・・・私は以前から新小判4銭を代表する使用例を捜し求めてきました。 第一候補は野戦局の重量便、第二候補は在外国局しかも珍局の重量便でした。 求めるエンタへの志は高いのですが、なかなか見合ったものは出てきませんでした。 そんな折に、ヤフオクでこのエンタを見かけました。 

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鉄道郵便の重量便はそこそこ見かける組み合わせでしたが、出品タイトルの隣に『第一師団司令部差出』と書かれていたのに興味を惹かれました。 司令部といえば軍の中枢機関です。 信書であれ葉書であれ、しかるべき郵便局から差し出すのが通例のはずです。 当時の軍隊の威光は、それはもう絶対的なものであったようです。 それを証明する資料こそありませんが、たぶん差し出された郵便物は、普通便であっても特別便の扱いをされていたように思います。 万が一にも受取先に届かないような事態になればどのようなお咎めを受けるか分かったものではありませんから。 ・・・そのような目で出品物を見ますと、確かに印は掠れもブレもなくしっかりと押されています。 私は迷うことなくカタログ値とは全くかけ離れた値段で入札しました。 落札価格も然るべき値段まで競り上がったことは言うまでもありませんでした。 届いたエンタには中身の一部が入っていました。 個人宛のもので 『別紙の御沙汰書を送付したので受領票を速やかに送付(返送)するように』 との付箋がありました。 軍所属の文官が差し出したものだと思われます。 付箋の日付は3月6日ですから、5日間も手紙を出し忘れていたのでしょう。 第一師団は東京の警護を主任務としており、司令部は東京にあったはずです。 なのに、上りの便(東京行)に投函されたということは、用事の帰りに手紙のことを思い出し、駅のポストに投函したものに違いありません。 それにしても、このような最もお堅い公文書が最も物見遊山的な消印で送られたことには苦笑を禁じ得ません。 尤もおもてに 『大至急』 の文字が入って、内容が何らかの事件に関わるものであったなら、鉄道郵便で急ぎ送るにふさわしい珠玉のエンタとなったでしょうに。 う~ん、やっぱり至高のエンタというのは簡単に拾えるものではないようです。 このエンタを手にして一句。 『珍しさも 中くらいなり おらが春』

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