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2009年6月

2009年6月 2日 (火)

フランス切手 PERIODIQUES [定期刊行物用専用印]

今回はフランス切手 PERIODIQUES [定期刊行物用専用印] について紹介したいと思います。 この日付抹消印は1870年代末パリ市で生まれた印と云われています。 印刷物用ではありますがその印影は前回シリーズの IMPRIMES とは大分形態が異なっています。 下記にその印影と使用実例を記載しますが使用された時期はいずれも1880年代半ばからのものばかりです。 サージュ切手での私蔵・使用実例は僅かにこれだけしかありません。 かの Guy Maggay 氏のHPにもサージュ切手の使用例は皆無でその以降の種まき切手等ばかりです。 切手額面は IMPRIMES と同じ様に 5c 3c など低額面が主で高額面は 30c 切手が一点あるのみです。 またこの消印の評価についてはどの文献にも見当たらず詳細は判りませんが、かなり希少である事は間違いありません。 それに、この当時のパリ市内ではどんな印刷物が定期刊行物であったかは、残念ながら私には判りません。日本でも第三種(定期刊行物)や第四種といった印刷物扱いの郵便はありましたが、それ専用の日付抹消印まで作成されるとはいかにもフランスらしいです。

                        Periodiques1

          Periodiques2_2

まことに寂しい話ですが、このシリーズに関する記事はこれで終わりです。 現在、次のテーマとして 「フランス船内局印とフランス切手のパクボー印」 についての記事を書く予定でいろいろ資料を整えている最中ですので、今週もどうやらサージュ切手の記事はこれだけで終りそうです。 週末には恒例のジョージさんの記事が予定されています。 今度の記事も期待できそうですのでお楽しみに。 ・・・・・・

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2009年6月 3日 (水)

オークション喜怒哀楽その6・(?)

「手彫り切手は怖い」

3月半ば以来久しぶりの オークション喜怒哀楽 の記事です。オークションの体験談にはこの4文字熟語の範疇外の言葉で語りたい経験もあります。 今回は 「?」 強いて云えば 「惜」 かも。・・・・・・・ 

蒐友の皆様達がそれぞれの思いで夢中になったであろう、関西某大手のフロアオークションが5月31日に終了しましたが、その出品物の超目玉であった手彫り未使用2点の中の下図一点が今日のお題です。

   Wasakura1_2

                             

この目玉の2点については出品にまつわる裏話がオークショニアーのHPの5月28日付けのブログに語られていて入札者の意欲をかき立てていました。 (参照:http://www.japan-stamp.com/ ページの右端のブログ>記事の中頃)・・・・・

爺も昨日何気なく読んでいて、この切手そもそもがeBay の出品物であったことを知り、はっと思い出したのです。 去年の11月半ばの、半年も前のことなのですっかり忘れていたのでしたが、 爺もジョージさんと共にこの切手の出品には注目していて、US$0・99 が $5600越えの値で落札されて吃驚した記憶が蘇りました。 下図はその時ジョージさんに送ったメールに貼付した写真3点ですが、読者の皆様もきっと興味がおありだろうと思い紹介することにしました。 

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そもそもこの切手の出品者は米国フロリダの中国系切手商で、出品物の保障はしておらず、買い手責任のオークションでした。 終了が日本時間明け方の6時近くで、締め切り直前に瞬く間に$300から$5600越えに跳ね上がって終了したのでした。 この時、日本のビッダーが加わっていたかは定かではありませんが、最終競ったのは3人でウイナーは、ブログ記事によれば、米国の若い弁護士の様でした。 この切手がその後曲折を辿って、先日の関西のオークションに出品された経緯はとても興味のあるものです。(先のブログ参照

下図は当時ジョージさんとやり取りしたメールの写しですが、今日のお題 「手彫り切手は怖い」 はその時同じ業者が出品した偽者らしき和桜10銭の使用済みが高額落札された話をしていて、手彫り切手は駆け出しの素人蒐集家には危険だと話合っていたからです。 

     Wasakura5_5

つまり、今日のお題で爺が云いたかったのは、もう少しの知識と山っ気があったら、ひょっとしてこのとてつもない儲け話が現実に自分等のものになったかも知れないと思っての、「惜」です。 実際これが小判や菊切手の分野での出来事であれば、ジョージさんも爺も決して見逃しはしなかったであろうと思うからです。 この時から2ケ月後の出来事 「旧小判45銭の記番印の栄光」 がそれを証明しています。 ・・・・ほんとかなー? どこからか辛口の囁きが聞こえてきます。・・・「世の中そう甘くはないよ」 ・・・・まあーそれにしても少々品のない話ではあります。 請う、ご容赦。

追記(6月4日):今日新たに気が付いた事を述べたいと思います。 郵趣2009-5月号の記事「オークション今月の記録」に3件の記事が載っていますが(内、2件は敬愛する飯塚氏と小寺氏の記事)その最初の記事がこの和桜2銭「イ」に関するものである事を知りました。 この切手が今年1月の [SPINK Shreves Galleries]のセールに出品され、US$8,000で落札されたと報じています。 しかし関西大手のオークショニアーのブログ記事によれば(先のブログ参照)事実は全く異なるようでした。 これもまたひとつの驚きではありますが、念のためここで言及しておきたいと思います。

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2009年6月 6日 (土)

オーラを放つ逸品・その24

    * 何故か人々の心を揺らす「中宮詞」のエンタ ・・・・・・

季節局と云うだけで何故か蒐集家の心を捉えて止まない中宮詞の消印。 今日の逸品は中でも珍しい外国向けの美しい書留書状です。 日本有数の避暑地から、真夏のシベリア鉄道に揺られて、いったい何が送られたのだろうか ・・・・・ ジョージさんは本当に好い品を持って居られる。・・・・・

[ 以下、週末恒例のジョージさんの投稿記事です ]

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オーラを放つ逸品


エコの達人 使えるものはいつまでも

データ:菊20銭貼 櫛型印中宮祠43.7.22→TOKIO→ドイツ(裏面着印有)

 最近はリサイクルだとかエコだとかの必要性が取りざたされています。 しかし、50年前までは今よりも物を大切に使っていたものです。 私の幼い頃には近所に鍛冶屋さんがいて、穴の開いた鍋や取っ手の取れたやかんなどは、ここで直してもらって使っていました。 服も姉のお古を母が仕立て直して作ってくれました。 ほころびができれば余り布で繕ってくれましたし、擦り切れたら雑巾にして使ったものです。 古紙はこよりにして紐として使ったこともありました。 昭和の中期でさえこのような有様でしたから、明治時代ではありとあらゆる物がリサイクルされていたものと思われます。 よく旧家の襖の中からエンタが出てきたという話を耳にしますが、紙が貴重品だった当時としてはごく当たり前のことだったのでしょう。 一度郵便に使われた封筒を裏返しにして再利用されているものもたまに見かけます。 中には表はありふれた使用例で裏は珍しい局名や使われ方をしているものもあるわけで、こんなときは思わずガッツポーズが出てしまいます。 ・・・画像のエンタは封筒を裏返しにして使っているものではありませんが、明治時代の人間の物を大切に扱う姿が映し出されています。 もう一度画像をよーく見てください。 ヒントを差し上げましょう。 書留ラベルです。 もうお分かりになったでしょう。 中宮祠の祠が旧字体になっています。 旧字体は丸一印時代には正規の局名として使われていました。 櫛型印になってから現在の字体が使われるようになったのです。 中宮祠局では櫛型印は配布されたものの、その他の印は配布されなかったようです。 結果として今まで使っていたものをそのまま使っていたのでしょう。 それにしても、書留ラベルに押された印影は全く潰れた跡がありません。 書留の取り扱い量がいかに少なかったかを物語る貴重なマテリアルだと思います。 このエンタはヤフオクで入手しました。 設定金額は中宮祠の印影+書留ラベルの値段にしました。 落札にいたるまでの経過はほとんど忘れてしまいましたが、他の入札者は中宮祠局の外国郵便使用例として値段を設定されていたようです。 書留ラベル分だけ金額を上乗せした(プラス1万円)私の勝ちでした。 外郵便は欧文消で揃えるのがセオリーと思われている方には到底寄り付きもできない価格(21510円)での落札となりました。 屁理屈はともかくとして姿のよいエンタです。 加えてTOKIOの中継印と旧字体の書留ラベルは魅力的です。 季節局の特質や外郵便の中継局が一目瞭然のすばらしいマテリアルだと思っています。 ちなみに、当然のことながら温泉、大洗の季節局にも照準を合わせています。 いつになったら獲れることやら見当はつきませんけど・・。

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2009年6月 9日 (火)

「フランス船内局印とフランス切手のパクボー印」その(1)

このところ本筋外の記事で賑やかでしたが、さてジョージさん、お待たせしました、いよいよ「フランス船内局印とフランス切手のパクボー印」のシリーズに進みたいと思います。 1700->1800年代に殖民地を拡大したフランスの郵便に於けるこの分野はかなり広範な歴史がありその詳細を語る事はとても難儀ですので、イベール専門カタログ(1975年版)からの抜粋を軸にしてかいつまんで紹介します。 ジョージさんが最も強く関心を抱いて居られる分野は旧小判から菊に至る切手上に見られるフランス郵便船内局の抹消印だろうと思いますが、これ等に関する記事は少し先のことになります。 先ずこれからの紹介する内容を下図に述べている4項目に分けて進めたいと思います。

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先ず、(1) 初期の殖民地や諸外国からの海路郵便。 について紹介します。

1849年にフランス切手が発行される遥か以前の1750年頃から交易船や郵便船による海路経由の外国からの郵便は少なくなく、特にフランス植民地からの郵便に割引制度が適用されてからは、普通の外国郵便と仕分けるため下図にあるような表示印が使用されています。 「COLONIES FRANCAIS=フランス植民地」 や 「PAYS D‘OUTREMER=海外国」 等の各種表示印が到着印として使用され、それらには郵便船が最初に入港したフランスの各、港名が記されています。 あいにく実例は所持しておりませんが、かの Guy Maggay 氏のHPに写真が何点かありますのでご覧になってみてください。   

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次回は (2) 地中海航路とフランス沿岸や大きい河川の河口付近航路の郵便船印。 について紹介します。

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2009年6月10日 (水)

「フランス船内局印とフランス切手のパクボー印」その(2)

今回は(2) 地中海航路とフランス沿岸や大きい河川の河口付近航路の郵便船印。について話を進めたいと思います。 この項目で一応 郵便船印 と述べていますが、正確には船内に設置された移動郵便箱に投函された郵便物に出港地或いは到着港での郵便取り扱いの日付認証印のことです。

1840年代後半頃から、フランス沿岸の港町間や、地中海を挟んで自国領地であったアルジェリアの港町とマルセーユ間、またコルシカ島の BASTIA 及び AJACCIO の二港とマルセーユを結ぶ航路を運行する小型の蒸気船(BATEAUX A VAPEUR)に移動郵便箱が設置されて郵便業務が行われていました。 フランス沿岸部の航路は鉄道の普及と共に1860年代にかけて徐々に減少して行ったが、マルセーユとアルジェリア、コルシカ島間の航路はやがて定期運行されるようになり1880年代から1900年代初頭には、LIGNE DE ooooo と云うような航路表示が入った日付抹消印が使用されるようになりました。

以下にこれ等の印影や私蔵の実例及び関連の資料などを順次紹介しますが、それぞれに説明を付していますのでご理解いただけると考えています。

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: 

「PAQUEBOTS POSTE FRANCAIS」 いわゆる(OCEAN GOING MAILBOAT) 大洋を航行するフランス郵便船の表示に、統一された LIGNE DE A、B、C、・・・・等の航路名入り二重丸印が導入されたのは1866年の10月からですが、これ等についての紹介は次の(3)の項目でいたします。

次回は (3) 大洋を航海する大形郵便船の船内局印(日本関連印はここで) について紹介します。

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2009年6月12日 (金)

オーラを放つ逸品・その25

    * ひとの欲望には限りがありません ・・・・

と云ってもこれは上を目指してやまない蒐集家の性(さが)とも言うべき望みのことです。 今日の逸品は、地味ですがなかなか完品が見つからない 「☐☐☐☐がお題です。 中でも珍しい赤色の、そう書留配達証明ですぞ。 いったい何が送られたのだろうか ・・・・・ ジョージさんは、ひねったものはちゃんと持っています。・・・・・さすが。

[ 以下、週末恒例のジョージさんの投稿記事です ]

オーラを放つ逸品

小包送票はありふれていても・・・・

データ:

菊5銭、10銭貼 櫛型京都七条米濱43.7.7后5-6→大阪 

書留小包 配達証明


 いったい、この世の郵便物の中で小包郵便ほどコレクションの収まり具合がみっともないものはないでしょう。 運がよければ宛先と小包送票の部分を切り取ってフロントカバーにできますが、悪くすれば小包送票だけを切り取ってアルバムに収めなければなりません。 内容物も紙片ではない場合がほとんどですから凹凸があり、そのためにエンタイアに跡が残る場合もしばしば起こります。 小包郵便の制度は明治25年からありますから、存在数は多いはずなのですが、完品の実物はめったにお目にかかれません。 ところが、小包送票だけならいくらでもあり、値段も安いものばかりです。 従って、完品がオークションに売りに出されても値段のつけ方は難しいと思います。 ・・・私は1通だけ小包のエンタを所持しています。 

  :

Souhyou1

このエンタの料金は、書留小包(12銭)+配達証明(3銭)=15銭です。 ほぼこれで完品状態と思います。大きさはB5判よりも一回りくらい小さな厚手の封筒です。 封筒の表に大きく宛先が書かれ、大阪の到着印の代わりに到着日を示す日付だけの紫印が見られます。 そして裏側に切手が貼られた小包送票が貼られています。 書留配達証明便なので乙票(赤色)です。 

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封筒も目立った傷は見当たりません。 中身は大切なものだったようで配達証明扱いにされています。 これで宛先と小包送票が同じ面に貼られていたら完璧なのですが、世の中はそれほど甘くはありませんでした。 ・・・このエンタは菊切手を専門的に集め始めるようになった最初期にコレクションに入れました。 今流行のパソコンどころか一昔前に流行したワープロを導入する以前に買ったコレクションですから、買った値段も購入先も分かりません。 この頃は単片の使用例を専門に集めていましたから、買った値段はケーキ1個分のお小遣い程度だったはずです。 ただひとつ、しっかりと覚えていることは、菊のコレクションをほとんどすべて手放したときも、これだけは売りに出さずに手元に残していたことです。 残したものは、これと2銭貼広東宛印刷物とAR印付外郵到達証明便の3点でした。 理由はいずれの品も購入した値段はかなり安かったのですが、珍しい使用例に思えたから、オークションで安い値段で落札されるくらいなら残したほうがましと判断したからです。 今でもこの判断は正解だったと思います。

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2009年6月15日 (月)

「フランス船内局印とフランス切手のパクボー印」その(3)-1

今回からは (3) 大洋を航海する大形郵便船の船内局印(日本関連印はここで) について2-3回に分けて紹介します。

19世紀後半から20世紀前半にかけて、フランス政府から正式認可を受け海路郵便業務に深く関与した海運業者と云えばCompagnie Générale Transatlantique と、良く知られたMessageries Maritimes(M..があります。 後者海運会社が .. と改名したのは1871年ですがその前身の海運業者 Messageries Imperials 1851年に創立され(設立時名は Messageries Nationales ) MARSEILLE を母港として1865年頃までは主に MEDITERRANNEAN=地中海 を中心に運航していました。 この間クリミア戦争で国に貢献した Messageries Imperials は時の皇帝ナポレオン3世から恩賞として BORDEAUX-BRASIL航路 の運航の権利を与えられ、これがやがて LIGNE J と K の航路となり南大西洋航路の要へと発展していったのです。 この地中海時代は600トンから1800トンくらいの商船70隻ほどを運航し、これ等に於ける郵便業務は主に下図にある船名を入れた二重丸の日付印が証示印として使用され、また同時に 「PAQUEBOTS DE LA MEDITERRANNEAN」 と云う長方形の朱印が認証用に使用されました。 下記にイベールカタログの参照例と私蔵の単片上の印影を紹介しておきます。( 註:船内局に投函された郵便の抹消用に 錨・点描菱形印 [ANCRE] が導入されたのは1857年なのでそれ以前ではこれ等船名入りの印で切手を抹消したエンタが存在するだろうと思うのですが、私はまだ実物を見た事がありません。)

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上述の期間と同じ頃、Compagnie Générale Transatlantique とM.M.(正確には前身の Messageries Imperials) はフランス政府の認可を得て下記の海外航路に携わるようになり、郵便業務もそれぞれの就航航路で分担するようになりました。 Compagnie Générale Transatlantique は南大西洋の一部、米国、中米、そして M.M.は南大西洋、インドシナ、極東をカバーしていました。

* 1860 ->1865, dans l'Atlantique Sud,     

南大西洋航路

* 1862 ->1865, vers l'Amérique Centrale , 

中央アメリカ航路

* 1862 ->1866, pour la ligne d'Indochine,  

インドシナ航路

* 1864 ->1866 pour la ligne des Etats-Unis.

米国航路

下図はそれ等に使われた日付証示印の印影を集めたもので、船名、国名、都市名等が組み合わされたものが使用されています。

                           Paqmed4_3

ところで、世界各地に海運航路が広がっていくのに従いフランス海路郵便は、郵便物に押印する日付印に各航路表示をアルフアベットで統一する案を導入し1865年から1866年にかけて実施に移しました。 下図はそのリストで, 各航路の開設期間を記載していますが、日本に関わりをもつのはピンクで表示の LIGNE N と LIGNE S と1911年以後の新型抹消印の時代の三つで、これらの海路郵便は M.M.によって占有されていました。

   Lignelist_3

上図の各 LIGNE の説明と私蔵の実例等は次回の記事にて紹介したいと思います。

                      

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2009年6月17日 (水)

「フランス船内局印とフランス切手のパクボー印」その(3)-2

                           Lignelist

上図の前回記載したアルフアベットで統一された航路名入り船内印(LIGNE A,B,C等)のリストはやや煩雑なので、おおざっぱに分類した航路区域別のリストを下図に示します。

        Lignelist2

以下、私蔵の実例を幾つか紹介しながら、船内印の印影の変化を取り上げたいと思います。 真っ先に日本関連に進みたいのですが、少し検証すべき点も残っていますので次回に回すことにしました。

先ず、手持ちの実例が多いフランス=南米間の船内印 LIGNE J と LIGNE K について紹介します。

総じてフランスの船内印は、本来の使用状況である航海時に、船内局のポストに投函された郵便物に押印される場合以外のケースが結構多いのです。 例えば1800年代後半、外地領事館扱いの郵便を消印せずに直に郵便船に引渡し、船内局で押印させたのです。 また植民地等外地局で抹消された郵便物(ルーズレター)を郵便船に渡した後、船内局が受取りの証示印として船内印を使用するケースが多々ありました。 下記に紹介する実例は残念ながらサージュ切手の使用例が一つもありませんが、これ等の使用例も結構希少な例だと思います。

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この章はまだ続きがあります。次回をお楽しみに。・・・・・・

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2009年6月19日 (金)

オーラを放つ逸品・その26

  *ひとの欲望には限りがない・・ なーんてまた呟いてみたくなるお題です・・

今週もまた一声足りない「逸品?」だと嘆いてみせるジョージさんです。 時代もぐっとさがった昭和の二二六事件のような大事件の一報でも欲しかったのでしょうか?・・・・・・

[ 以下、週末恒例のジョージさんの投稿記事です ]

オーラを放つ逸品

旅の旅情に最も似つかわしくない差出人

データ:新小判4銭貼 丸一印鉄道郵便東京前橋間29.3.11上りニ便→大宮郷

 日付印の中で最も旅情を思い起こすものといえば何と言っても鉄道郵便でしょう。 車窓に映る景色の変化を楽しみながら筆をしたため、名も知らぬ駅のポストに投函する。 さながら映画のワンシーンのような情景です。しかしながら実際にこのように旅先で投函された鉄道郵便印は稀なような気がします。 鉄道郵便は家や会社の中で書かれ、汽車に乗るついでに、たまたま駅のポストに投函されたものか、建物から最寄のポストが駅にあって生活の一部としていつも利用している例がほとんどなのでしょう。 ・・・私は以前から新小判4銭を代表する使用例を捜し求めてきました。 第一候補は野戦局の重量便、第二候補は在外国局しかも珍局の重量便でした。 求めるエンタへの志は高いのですが、なかなか見合ったものは出てきませんでした。 そんな折に、ヤフオクでこのエンタを見かけました。 

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鉄道郵便の重量便はそこそこ見かける組み合わせでしたが、出品タイトルの隣に『第一師団司令部差出』と書かれていたのに興味を惹かれました。 司令部といえば軍の中枢機関です。 信書であれ葉書であれ、しかるべき郵便局から差し出すのが通例のはずです。 当時の軍隊の威光は、それはもう絶対的なものであったようです。 それを証明する資料こそありませんが、たぶん差し出された郵便物は、普通便であっても特別便の扱いをされていたように思います。 万が一にも受取先に届かないような事態になればどのようなお咎めを受けるか分かったものではありませんから。 ・・・そのような目で出品物を見ますと、確かに印は掠れもブレもなくしっかりと押されています。 私は迷うことなくカタログ値とは全くかけ離れた値段で入札しました。 落札価格も然るべき値段まで競り上がったことは言うまでもありませんでした。 届いたエンタには中身の一部が入っていました。 個人宛のもので 『別紙の御沙汰書を送付したので受領票を速やかに送付(返送)するように』 との付箋がありました。 軍所属の文官が差し出したものだと思われます。 付箋の日付は3月6日ですから、5日間も手紙を出し忘れていたのでしょう。 第一師団は東京の警護を主任務としており、司令部は東京にあったはずです。 なのに、上りの便(東京行)に投函されたということは、用事の帰りに手紙のことを思い出し、駅のポストに投函したものに違いありません。 それにしても、このような最もお堅い公文書が最も物見遊山的な消印で送られたことには苦笑を禁じ得ません。 尤もおもてに 『大至急』 の文字が入って、内容が何らかの事件に関わるものであったなら、鉄道郵便で急ぎ送るにふさわしい珠玉のエンタとなったでしょうに。 う~ん、やっぱり至高のエンタというのは簡単に拾えるものではないようです。 このエンタを手にして一句。 『珍しさも 中くらいなり おらが春』

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2009年6月23日 (火)

「フランス船内局印とフランス切手のパクボー印」その(3)-3

ジョージさんお待たせしました。 今回は日本に関係が深い LIGNE N と LIGNE S について話を進めたいと思います。 第二帝政下のフランスは1858->1862年にかけてベトナムに進出しフランス領 COCHIN CHINE(コーチ シナ)と呼ばれた一帯を殖民地としたのですが、これに伴って出現したのが前前回取り上げたインドシナ航路です。 この航路が後に LIGNE N となったのですが、1869年にスエズ運河が完成し翌1870年から MARSEILLE<->HONG KONG の航路が直通で運行されるまでは、郵便物は一旦エジプトの ALEXANDORIA で陸揚げされ CAIRO 経由でSUEZまで鉄道で運ばれ、SUEZから再び海路で輸送される方法がとられていました。 下図は LIGNE N,S のおーざっぱな航路図と航路明細のリストですが参考にしてください。 これはフランスの郵便船の航路のみですが、19世紀の強大な海運国であった英国のP&O商船もほぼ同じような航路を運航しており、当時はM.M.よりはるかに多い配船をしていたようです。

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さて、M.M.のこのルートの船内局印の変遷について私蔵の実例を紹介しながら述べていきますが、情けないことに肝心のサージュ切手の使用例が、このルートのみならず全体でも極端に少なく僅か2、3点です。その理由はよくわかりませんが、植民地との間の航路は植民地切手が使用されたのと、東洋への航路ではフランスの横浜局が1880年に閉局となる前後同局でのサージュ切手の使用例は僅か数例に過ぎないと云われていますので、サージュ切手の配分そのものが少なかったのでしょう。 またその後の UPU の取り決め(1892)により寄港地及びその領海では船内局は閉局され、船内投函郵便にはその国の切手を使用すべきと定められたのも影響しているのかもしれません。 日本の小判、菊切手に多くこのフランス船内局印が見られる理由もここにあると思われます。 下図はこのルートで確認されている船内局印の大体の印影を記載したつもりですが、1865年頃のインドシナ航路の船の印影が判りません。 また印影が円形から八角形に変った理由や正確な時期などな全く判りませんし、同時期に両方のタイプが使用されているのが確認されています。 また何故朱印が存在するのかも残念ながら不明です。

                               Paqeast3

以下印影を確認できる使用例を私蔵の実例及び文献やオークション・カタログ等で所見されたものを紹介します。 初期の円形の消印を語るのにはどうしても欠かせない日本切手の小判や菊の使用例は、現役で日本切手に夢中だった頃には高嶺の花でついぞ入手出来なかったのですが、今回、切手名鑑に記載されている4点ばかりを参考画像として下図に載せました。 無論現在の所有者(何方かわからない)の許可は得られていないのですが、お許しをいただけるものと信じております。

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次回はLE HAVRE<->NEW YORK航路やカリブ海関連の航路にたずさわったCompagnie Générale Transatlantique の船内局印について紹介したいと思います。 お楽しみに。・・・・・・

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2009年6月26日 (金)

オーラを放つ逸品・その27

  *これぞほんもの。 異論はありません・・・・・

そうです。 これぞ真のオーラを放つ逸品です。 もちろん、私も初見の抹消印です。 その消しの鮮明で姿の好いこと! まさに云う事ない逸品です。・・・・・・・

[ 以下、週末恒例のジョージさんの投稿記事です ]

    Kikugunji1_2

オーラを放つ逸品

記録を更新することのうれしさ

データ:菊軍事3銭貼櫛型SHANHAIKWAN9.1.12 I.J.P.A

→岐阜・竹ヶ鼻45.1.14
 これはつい先頃のヤフオクで入手したものですから、ご存知の方もおありかと思います。 このエンタの消印が欧文印だったので、中国の使用例と考え、一応の入札値で仮押さえをしました。 まあ、犬が電柱にオシッコをひっかけてテリトリーを主張するようなものですね。 今まで菊軍事のエンタを2通ほど入手しましたが、ありふれた消印だと、すぐに飽きてしまって手放してしまいます。 やはりそれなりのプレミアムがないと、ゼネラルでも面白みがありません。 この時点では、普通の山海関の使用例として気楽に考えていました。 ・・・そして、いつものように山海関の櫛型欧文印について文献で調べました。 すると、普通の山海関局はC欄 I.J.P.Oであり、C欄 I.J.P.Aは灤(らん)州という山海関の出張所であることが分かりました。 わずか1字違いが何倍もの価値の違いになるのですから、切手収集は奥の深いものです。 この局では、普通の櫛型印と中国特有の時刻入り櫛型印とが一時期は混在し、しかも普通の櫛型印は確認されている使用期間がわずか6ヶ月間でした。 確認されている印はゴム印だけです。 最初期使用例は1月29日と記載されていますから、このエンタは記録を20日更新しています。 加えて開局の公示はなかったらしく、脚注には「秘密局らしい」とまで書いてありました。 以上のことから考えると、この使用例は日本中にも、ほんのひと握りしか存在せず、しかも最初期使用の記録更新というとんでもないプレミアムがついていることを知りました。 この時点で、気楽な入札値が落札希望値に様変わりしたのは言うまでもありません。 終了の2時間前に一度高値更新されました。 入札された方の評価履歴からこの方の収集分野を見てみますと、中国の軍事郵便や中国での使用例を熱心に集めておられることが想像できました。 このような逸品はこの方のコレクションにあるべきと考え、一時は身を引こうと思ったのですが、消印の魅力に抗しきれず、再入札してしまいました。 もし、それ以上の値段を入れてこられても再々入札などという失礼なことはいたしません、と誓ったことは申すまでもありません。 結果は、その後誰の寄り付きもなく、103000円で落札できました。 ・・・エンタの差出人は山海関派遣隊に所属する軍人さんでした。 

                                   Kikugunji2_2

どうもこの局は兵営内に設置されていたような気がします。 また、切手には髪の毛が挟まれています。 (拡大して見てください)

                                 Kikugunji3_2

偶然ではなく、軍人さんが何らかの意図をもって、髪の毛を送られたのかもしれません。 異国での軍事行動でどのような任務に就かれていたのか、残念ながら私の平和ボケした頭では想像すらできません。 それにつけても、近年のイラクを例にとっても分かるように、戦後処理の難しさという歴史の重みがズシリと伝わってくるエンタではあります。

ヒロジージの追記

本日アクセス数が目出度く 20,000の大台にのせました。 これも一重にジョージさんはじめ読者の皆様の熱いご支援のお陰と感謝しております。 この記念すべき日にこの素晴らしい「逸品」を投稿くださってブログを飾っていただきとても嬉しく思っております。

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2009年6月29日 (月)

「フランス船内局印とフランス切手のパクボー印」その(3)-4

前回に、力を入れていた LIGNE N、S についての記事が済んだら少々気がぬけてしまい、今日のこの記事は少々おざなりになりなって仕舞いそうです。 アルフアベットの航路表示で残っている LIGNE A、B、C、D ->Lのカリブ海関連とLIGNE Hの LE HAVRE<->NEW YORK航路については極簡単に説明するに留めたいと思います。 下図は それ等のおーまかな航路図と航路明細のリストですが参考にはなると思います。

   Ligneabc1

上図の航路で実際に使用された消印の印影を下記に記載します。

                         Ligneabc2

以下私蔵の実例をいくつか参考に紹介しますが、貴重なサージュ切手の使用例は LIGNE C が一点だけあります。 その他は各実例に説明をつけていますので、それで大体の背景はご理解いただけると思います。

                                 Ligneabc3

        Ligneabc4

         Ligneabc5

              Ligneabc6

一応これで(3)の章は終了し、次回は最後の章 (4) フランス切手上に見られる外国印・所謂「パクボー印」。 についてご紹介する予定です。

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