オークション喜怒哀楽

2008年12月31日 (水)

オークション喜怒哀楽その1・喜

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ジョージさん、2008年も今日一日で終わろうとしています。 3ケ月前、ひょんなことから、知遇を得て以来、さまざまな面でご支援、ご指導を頂き感謝しております。 また、ブログの立ち上げにあたって、ひとかたならぬご援助をいただいた、dotechandesu さんや、心よくブログへのリンクをしてくださった成田様をはじめ、このブログを訪れてくださった多くの方々の暖かいご支援に、この場を借りて厚くお礼申しあげます。 アクセス数も4000を越え、老い先短い爺にとっては、またとない励みとなっております。 今年の後半は1929年の大恐慌にも匹敵する世界的金融危機に遭遇し、日本も思わぬ経済不況に喘いでいます。 その1929年に生まれた爺の歳も来年は80の大台に乗ることになり、ひとしお感慨にひたっております。 来る年が、どうか皆様にもより良き年でありますように願っております。・・・・・・

さて、本年最後の記事です。

ジョージさんは憶えておられるでしょうか? 「ドイツ海軍艦船郵便局のNo.ですが、1 から何番まであるのでしょうか?」と、 私のヤフオクでの出品物に関してお尋ねのメールをいただいたのが、そもそもの縁しの始まりでした。 あの時、次のように返事をしました。「艦船局No.が幾つまであるのか覚えていません。 ただ一つだけ記憶にあるのは、第一次大戦当時、横浜山の手にあった山手病院(通称 Bluff Hospital とよばれていた)にあったドイツ海軍の療養施設にもこの一連のNo.が振られていて、実際のNo.が何番かは失念しましたが、このドイツ艦船局シリーズの中では大珍品です」 しかし、この説明は間違っていました。 後日、偶然日専カタログの記載を見て知ったのですが、ドイツ海軍の療養施設には番号ではなく、YOKOHAMA の地名が当てられていて、一連の抹消印では異例のものだったのです。 いまさら恥ずかしいことですが、直ぐにお知らせすべきだったと悔やんでいます。・・・・ ところで、ながながと前置きしたのは他でもないのですが、3日前、イーベイで偶然この「ドイツ海軍艦船郵便局・YOKOHAMA」のエンタを見つけ小躍りし、大して競争も無く落札できました。 出品者はベルギー在住の日本人でした。 下記に紹介しますが、これに関して少しネットで調べたところ、いくつか記憶違いや、新知識を得たので、お知らせします。 まず、山手病院(通称 Bluff Hospital とよばれていた)のは英国系の病院で1867年から1982年に廃院となるまで約120年近く活動しており、ドイツ海軍の療養施設とは全く別のものでした。 ドイツ海軍病院は1878年、現在の横浜・元町近くに創設され、1911年に廃止されるまで、極東配置のドイツ海軍艦船や商船の乗員のための療養施設でした。 この病院にもドイツ海軍艦船郵便局の抹消印が支給され、実際に使われたのは、しかしとても短期間でした。 文献によって多少違いがあるようですが、1900年の前後、数年の間でした。 今回の落札エンタは1903年に病院内の人(と思はれるが、ドイツ語が理解できないので、推察)がドイツのベルリンへ宛てたハガキで、日本の外信連合はがき2銭にドイツ5ペニヒ切手が貼られていて、共にMARINE SCHIFFSPOST YOKOHAMA で抹消されています。 当時の日本在住の外国人は珍しさ故、日本の郵便局から差立てることが多かったのではないかと思われますが、 この病院の入院患者たちも多分日本局を多用した為、エンタの残存数が少ないのではないかと推察しています。 しかし、この葉書が横浜からどう云うルートでベルリン迄運ばれたのかは、残念ながら私にはよく判りません。 どなたかご存知の方がおられたら、教えを請いたいと思います。

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2009年1月27日 (火)

オークション喜怒哀楽その2・楽

季節局「下野・中宮祠」の丸一印便号入り葉書

久し振りにイーベイで実に楽しいハガキを見つけたのですが、これがまた嘘みたいな安価落札でした。 下記にそれを紹介しますが、小判赤2が貼られ「下野・中宮祠の丸一印:明冶35年9月21日ロ便」の抹消があります。 宛先はフランス語で、マドモアゼル・コルビザール、IMAICHOAZABUTOKYO とあり、差し出し人は推察ですが、男爵コルビザール中佐でその娘さんに宛てたものかと思はれます(2銭は当時の2種便では過剰料金)。 皆様ご存知の様にこの季節局「下野・中宮祠」のエンタはかなり珍しいものと思います。 美しい手彩色の写真の絵葉書ですが、文面にはこの写真の情景について短い説明がなされています。 推定される男爵コルビザールは日本郵趣界ではかなり知られている郵趣家で、明冶30年代に日本に派遣されていたフランス軍事顧問団の一員だったと(私は記憶していますが)。 彼は日本の初期の記念切手貼りの初日印エンタをかなり残しており、当時東京の麻布に住居を構えていました。 「下野・中宮祠」は日光中禅寺湖畔から戦場が原あたりへの地域ですが、当時の夏場の避暑地でもあったのでしょうか。 

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このエンタについて、日本切手の大ベテラン・ジョージさんから次の様な、貴重かつ興味ある内容のご意見を頂きました。

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季節局「下野・中宮祠」の変遷

** 中宮祠やはり35年消だったのですね。 しかも差出人は郵趣家。 実に面白いです。 料金を間違えることはまず考えられません。 それなのに2銭切手が貼られています。 あくまでも仮説なのですが、ひょっとしたら郵便物取扱い初年度の35年にはまだ1. 5銭切手が配備されてなかったのかもしれません。 中宮祠という局は本当に不思議な局です。 33年に開局した当時は郵便電信取扱所でした。 菊切手の時代なのに使われているのは小判切手オンリーです。 縦書丸一印に消印が残されています。 普通の局なら菊切手が配備されているはずなのに。 郵便でも丸一印の時代は殆ど小判切手が使われています。 (ただし、3銭は36年の使用例を確認しています) 4銭にいたっては38年でさえも小判切手が使われています。 菊切手が使われだしたのは櫛型印になってからなのです。 私の手元には菊20銭貼43.7.22付の外郵書留エンタと、 1. 5銭青39.7.2付の単片とがあります。 丸一印で菊切手は非常に珍しいと思っております。 今後も中宮祠のデータを集めていこうと思います。 ヒロジージさんの葉書も今は料金過剰に過ぎませんが、35年には局に1. 5銭がなかったとしたら価値の高い適正貼エンタに変身です。 とにかく現在まで1. 5銭の丸一印は確認できておりません。 ミステリーハンターの如く中宮祠の謎を追跡中です。 これだから切手集めは面白いんですよね。 **

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2009年2月22日 (日)

オークション喜怒哀楽その3・哀?

哀? と云うべきか、いや「苦い」というべきかも・・・・

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上の写真は去年の11月半ばにイーベイで落札した菊20銭のエンタで横田兄弟商会の特色ある印刷封筒は収集界ではかなり知られています。 落札値は書留送料込みのUS$85でした。・・・・問題はこのエンタが日本に来る途中に行方不明になったのです(REGISTERED MAILですぞ)・・・・・以下の成り行きは、日頃イーベイを利用されて居られる皆様にも参考になると思いますので、興味のある方はお読みになってみてください。

出品者はライプチッヒのドイツ人で、これ以前にも二度取引があり普通郵便でしたが無事日本に到着していましたので、信頼しきっていたのです。 事件はどうやら書留手続きをした、ライプチッヒのドイツ郵便の窓口で起きたようなのです。 出品者はこの時日本向け以外にも英国などへ3通ほど書留で送品したのが全て行方不明になっていたそうです。 

その後ドイツ郵便と日本郵便が捜査をしましたが発見できずじまいで一ヶ月が過ぎました。 捜査の結果その書留は日本には入ってきてはいないので、私はライプチッヒの局内で猫ばばされたに違いないので絶対見つからないと思いましたし、相手にもそう伝えて、代金の返却を求め、応じなければeBay/PayPal に提訴すると告げました。 しかし相手も自分には落度がないからと返却を拒み続け、あげく、PayPalのプロクテクション条項でカバーしたらと提案してきました。 

云われるまでも無く、こちらは既に eBayを通じてPayPal に正式に落札物未着の提訴をしていました。(提訴の権利行使の期限切れ寸前の12月末でしたが) 提訴を受けたPayPalは即刻出品者の口座から 取引の全額$85 を差押さえて、調査を開始したのですが、 驚いたのは出品者の方でした。 彼は Buyer‘s Protection の条項はPayPal が自腹を切って損害補償すると思っていたらしいのです。 差押さえされた彼は、ドイツ郵便の書留郵便紛失の損害弁償額がわずか$35でしかないからと、大損害だと泣き言をいって来ました。 

そうこうするうちに年も明け、1 月も過ぎ2月になってもPayPalの裁定は出ません。 この事件が出品者の詐欺行為等であれば直ぐに結論が出るのですが、出品者の悪意に因らない第3者の問題であるため長引く結果となったのです。 この間に出品者はドイツ郵便から損害賠償金を受け取っていたのですが、私の方へは連絡して来ませんでした。 

私は余りに長引くため、早く終らせることを願って(支払った代金を少しでも回収できればと思い)、彼の損失の半分を私が負担することをPayPalに提案して幕引きする事にしました。 つまり$85から賠償額$35を引いた$50の半分の$25ずつを双方が負担する大岡裁定ならぬ決着を見たのです。 こうして、2日前に、私には$60が返金され、彼の口座には$25が戻されました。 

しかし、この決着は私にはとても苦い味です。 欲しいと思っていたエンタは手に入らず、あげくの果て、支払い時の円安と、返金時の円高の影響で$25が約3300円となる損失でした。 まあ、これも国際親善の一環としてやむをえないかと今は妙に納得しています。 なぜなら、彼も私と同様にコレクションの引継ぎ手が家族に居らず、現役引退後の侘しい気分を味わっている老人だからです。 彼との友情も一時はどうなるかと思いましたが今は元に戻りました。・・・・・

私は去年の夏にも$100ばかりのブリキの玩具の取引でPayPalのお世話になっています。 この時は出品者がダンマリを決め込む(いくら連絡してもなしのつぶて)詐欺に近い落札物未着の提訴でしたが、短期間の調査で全額返済されました。 この時、イーベイでの取引は必ずPayPalを通じてすべきと肝にめいじました。・・・・

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2009年2月25日 (水)

オークション喜怒哀楽その4・楽

* 一点狙い・・・・

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前回はいささか、しょっぱい話で終ったので今日は少し楽しい話にしたいと思います。 上の写真は先月イーベイで狙ったロット物ですが、サイトの写真は小さなぼんやりした、これだけ。 しかも出品者はお気楽イタリヤ人でした。 信用度は100%でしたから、まあーいけるかなと思い入札することに決めたのですが、 目的は矢印の只一点・小判の記番印らしきもの。 ご覧の様に半分は外国切手のようなもので、あとはちらほら見える丸一印です。 しかし考える事は皆さま同じらしく、結構厳しい争いになり、3ドルスタートが250ドルをチョット越えて終わりました。 これでは目出度く獲得とは云えないレベルでしたが、思はぬ高値落札で気を良くしたイタリア人は書留送料をサービスしてくれた上、物は無事に手元に。 狙った一点は下記の通り、結構希少な旧小判10銭の記番印で状態はまーまーの物でした。

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次回は真面目に本筋のお題に戻りますので、ジョージさん、もう少しお待ちください。

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2009年3月16日 (月)

オークション喜怒哀楽その5・楽

*

再び戦後記念切手の機械印

今回の「楽」 これは笑ってしまうほど間抜けな話で他人が読まれたら楽しくなるだろうとの意味です。・・・・下図は去年11月、さる関西大手オークションのフロアに出品され、目の玉が飛び出るほどの高額で落札された「逸品」です。 品物は既に落札者の所有品ですから、ここで晒すには許可が必要かも知れませんが、爺自らの間抜けぶりを公にする、極めて自虐的な記事の参考品として載せさせて頂くのでお許しくださるものと思います。

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上の「逸品」が何故46000円(入札者8)という高額落札になったかは、それこそ知る人ぞ知るですが、哀れなるかな、知る由もない爺は、折りしもイーベイでチェックしていた物件に同じような切手を見つけ、しめたと思いかなりの額で競り落としたのです。 その他にも種々好ましい消印がある、かなりのロットでした。 下記にその極一部の写真を紹介します。 この記事を読まれる方の中にも、或いは狙っていた方がおられるかもしれませんが。

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上の写真の中の赤い矢印の切手が問題のものですが、この魚シリーズは昭和41年の発行ですから、43年、44年は封書15円期間の適正使用であり、(かのオークションの消印も43年だし) 封書用切手の魚シリーズに機械印は珍しいのだと、独り早合点した訳です。 ロットも無事届き、良い買い物だったと独り悦に入っていました。 然しその後、ある苦い思いをした経験から機械印について勉強する羽目になり、有名な「日本郵便印ハンドブック・2008」を購入したのですが、 そのなかの記事で初めて、「日立型」なる試行機械印が存在することを知ったのです。 昭和42年から44年にかけて、日立製の試作機に取り付けて、大宮、浦和、千葉、東淀川、尼崎、等の局で試験的に使われたが実用化には至らなかった為、存在数が極めて少ないのだそうです。 活字そのものにも特徴があるそうですが、素人に違いは良く判りません。 従って年号と局名が判断の決め手になるようですが、正にかのオークションの逸品はその「尼崎・43年」なのでした。 無論オークションの出品記事には「日立」 と太字で記載されているのですが、其処まで注意深く見る余裕もなく、ただ高額の落札値だけに目がいって舞い上がってしまったのです。 しかし、思ってもみれば、カタカナ・ローラー、ご当地消し、日立型、手押し年賀、外信消しと、戦後記念切手や航空切手の消印狂想曲時代は、ここ数年来途絶えることなく続いているらしく、小判や菊、大正切手に親しんできた今浦島の老人にとっては、近寄ればやけどをしかねない妖しい世界のようです。 (それでも一応、2004年出版の天野安治先生の著書「戦後記念切手は使用済が面白い」 を購入して、ちょっぴり勉強はしたのですぞ ・・・・・

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2009年6月 3日 (水)

オークション喜怒哀楽その6・(?)

「手彫り切手は怖い」

3月半ば以来久しぶりの オークション喜怒哀楽 の記事です。オークションの体験談にはこの4文字熟語の範疇外の言葉で語りたい経験もあります。 今回は 「?」 強いて云えば 「惜」 かも。・・・・・・・ 

蒐友の皆様達がそれぞれの思いで夢中になったであろう、関西某大手のフロアオークションが5月31日に終了しましたが、その出品物の超目玉であった手彫り未使用2点の中の下図一点が今日のお題です。

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この目玉の2点については出品にまつわる裏話がオークショニアーのHPの5月28日付けのブログに語られていて入札者の意欲をかき立てていました。 (参照:http://www.japan-stamp.com/ ページの右端のブログ>記事の中頃)・・・・・

爺も昨日何気なく読んでいて、この切手そもそもがeBay の出品物であったことを知り、はっと思い出したのです。 去年の11月半ばの、半年も前のことなのですっかり忘れていたのでしたが、 爺もジョージさんと共にこの切手の出品には注目していて、US$0・99 が $5600越えの値で落札されて吃驚した記憶が蘇りました。 下図はその時ジョージさんに送ったメールに貼付した写真3点ですが、読者の皆様もきっと興味がおありだろうと思い紹介することにしました。 

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そもそもこの切手の出品者は米国フロリダの中国系切手商で、出品物の保障はしておらず、買い手責任のオークションでした。 終了が日本時間明け方の6時近くで、締め切り直前に瞬く間に$300から$5600越えに跳ね上がって終了したのでした。 この時、日本のビッダーが加わっていたかは定かではありませんが、最終競ったのは3人でウイナーは、ブログ記事によれば、米国の若い弁護士の様でした。 この切手がその後曲折を辿って、先日の関西のオークションに出品された経緯はとても興味のあるものです。(先のブログ参照

下図は当時ジョージさんとやり取りしたメールの写しですが、今日のお題 「手彫り切手は怖い」 はその時同じ業者が出品した偽者らしき和桜10銭の使用済みが高額落札された話をしていて、手彫り切手は駆け出しの素人蒐集家には危険だと話合っていたからです。 

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つまり、今日のお題で爺が云いたかったのは、もう少しの知識と山っ気があったら、ひょっとしてこのとてつもない儲け話が現実に自分等のものになったかも知れないと思っての、「惜」です。 実際これが小判や菊切手の分野での出来事であれば、ジョージさんも爺も決して見逃しはしなかったであろうと思うからです。 この時から2ケ月後の出来事 「旧小判45銭の記番印の栄光」 がそれを証明しています。 ・・・・ほんとかなー? どこからか辛口の囁きが聞こえてきます。・・・「世の中そう甘くはないよ」 ・・・・まあーそれにしても少々品のない話ではあります。 請う、ご容赦。

追記(6月4日):今日新たに気が付いた事を述べたいと思います。 郵趣2009-5月号の記事「オークション今月の記録」に3件の記事が載っていますが(内、2件は敬愛する飯塚氏と小寺氏の記事)その最初の記事がこの和桜2銭「イ」に関するものである事を知りました。 この切手が今年1月の [SPINK Shreves Galleries]のセールに出品され、US$8,000で落札されたと報じています。 しかし関西大手のオークショニアーのブログ記事によれば(先のブログ参照)事実は全く異なるようでした。 これもまたひとつの驚きではありますが、念のためここで言及しておきたいと思います。

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2009年10月18日 (日)

オークション喜怒哀楽その7・(喜)

*消えた文字は何??・・・・

ほんとに久し振りの喜怒哀楽の記事で、しかもちょっとした嬉しいお話です。 下記写真のフランス切手、先日イーベイで 「YOKOHAMA」 の文字に惹かれて落札したものです。夜中1時頃終了の爺には少々きつい入札でしたが余り厳しい競争もなく終り、詳しく調べたところ意外なことが判りました。 

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この切手、ご存知NAPOLEON III 有目打 5c (1862年発行) で、フランスの船内局印、発信地名 「YOKOHAMA」 入りの八角印で抹消されています。 この型の消印は小判切手に稀に見られるもので憧れの珍品の部類に入ることは周知の事実ですが、それ等は全て1876年以降の日付で下部航路名が「PAQ. FR.S. か 稀に N. ですが、この切手の消印は「PAQ. FR.D.」で、しかも日付が(18)66年です。 前にこのブログで説明していますが 「PAQ. FR.D.」 はカリブ海とフランスとを結ぶ航路の船内局印でYOKOHAMAとは縁もゆかりもありません。 1866年といえば、フランス郵便の横浜局が開局された翌年で、将軍徳川慶喜が大政奉還をした前年であり、日本最初の竜文切手発行(1871)の5年も前のことです。 

この分野の第一人者・松本純一氏の著書「横浜にあったフランスの郵便局」(原書房発行1994年)に拠れば、フランス郵船(M.M.)の定期船が初めて日本に就航したのは1865年の9月で、香港/上海航路が日本迄延長される事がきまり、最初に就航したのが「デユプレックス」号 [ D U P L E I X ] で、この船で横浜局の開局に必要な切手類と日付印、抹消印(5118)などが上海から運ばれたと述べられています。 フランス郵船には「郵便取扱人」が乗船しており航海中に郵便の整理を担当すると共に停泊地においては船舶局として郵便物の直接引受も行ったとあります。 その後この航路の配船は月一回と決められ季節風などを考慮して次のように就航予定が定められました。

           10月―>4月     5月―>9月

往航: 上海発  毎月5日         毎月5日

     横浜着  同10日         同10日

復航: 横浜発  16日―>18日   12日―>13日

     上海着  21日―>23日   17日―>18日

ところで、1865年9月の就航開始から翌1866年10月迄の実績をみると、これら14往復はもっぱら「デユプレックス」号によって運行されており、全て予定表通りだったそうです。

1866年11月には「ラ・ブールドネー」号が、そして12月には「アルフェー」号が新しくこの航路に就航したのです。 そしてこの両航海の間に、有名な11月26日の横浜大火災がありフランス横浜局にも大きな被害が及びました。 フランス郵船は1867年初めから東洋方面の航路名をアルファベット名で呼称するようになり、上海/横浜間は 「S航路」 「LIGNE S」 とされました。(これはもう皆様良くご存知だと思います。

さて、長々と著書の内容を引用させて頂いたのは、理由があってのことで、再度切手の消印を良く見てください。 日付が { 1? JUIL 66 } となっていますが、これは 「デユプレックス」号 [ D U P L E I X ] が実際に就航した上の表の夏場のスケジュールの7月の分にぴったりはまるのです。 そしてアルファベット名での航路の呼称は未だ始まっていませんから、「PAQ. FR.S.」 でないのは当然です。 

ではこの切手の消印の 「PAQ. FR..」 は一体何なのか?・・・ そこでもう一度 「PAQ. FR..」 の字の後の消えている部分を良く見てください。 各文字の残っている部分から、それはなんと [ D U P L E I X ] と読めるのです。 (下図参照・拡大して見てください) この判断には100%自信があります。 なんせ今までに数百のフランス日付抹消印を見て消印図を作成し、英文字が狭い円周の中にどう収まるのか作図実行してきた経験があります。

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驚いたことに、このタイプのフランス船内局印、即ち発信地名・船名入り八角印は私にとっては始めて見るものです。 (1850年後半から1860年前半の間に一部で違った形の船名入り日付印が使用されたことは記録に残っていますが。) 

同著書に拠れば、フランス横浜局が扱った(発着両方合わせて)郵便物の現存数は約5000通と云われておりますが、横浜局開局の1865年9月から翌年1866年11月の大火災前迄の間の最初期の残存数は100通に満たない貴重なもので、郵趣市場では珍品とみなされ高価格で取引されているそうです。 なお同著書に実例として記載されている「アルフェー」号船舶局で引き受けられた書状があります。 それにはフランスの船内局印、発信地名 「YOKOHAMA」 入りの八角印で「PAQ. FR..の入った1867年2月15日付けの引き受け証示印が押されており、菱形点描錨印NAPOLEON III 有目打 80c切手を抹消したものです。 これは 恐らく 「LIGNE S」 の船内局印の最初期の使用例でしょう。

ちなみに同著書巻末資料にフランス横浜局で使用された切手類の希少度が表になっていますが、NAPOLEON III 有目打切手類の年度毎の評価は1867年度の40cと80c以外は [RARE] と記されています。 いずれにしてもこの5c切手の使用例は極めて稀と思えます。 もともと5c切手は印刷物用のもので(当時の横浜からの印刷物料金は10c)この切手の右端に見える印影(縁の部分)がペア貼りで使用されたことを暗示しています。 従来フランス本国でも印刷物のような低額面切手の抹消には日付印が使われる例が多くあり、

この場合も「デユプレックス」号 [ D U P L E I X ]の船舶局が横浜での引受時、菱形点描錨印でなく日付印を使用したことが推測されます。

このようにして貴重な使用例が残されたのですが、かえすがえすも、文字がかすれているのが残念でなりません。 しかしこれがまともな使用例であったら今頃イーベイ等で彷徨ってはいないでしょう。 きっと有名コレクションに収まっていて我々の眼にふれることはなかったでしょう。 僅か1年3ケ月間の十数度の 「デユプレックス」号 の航海で船舶局引受の印刷物が何点あったのだろうか? などは夢のなかの話のようで、もしかしたらこれが唯一の例だったりして、ほんとに興味の尽きない話ではあります。 いつか機会があれば著者の松本氏の見解を伺ってみたい気もいたします。・・・・

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突然の珍品(自称?)の記事が入って、肝心のフルニエの偽造切手真偽判定の説明が後回しになりましたが、明後日には何とかしたいと思っています。

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