オークション喜怒哀楽その1・喜
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ジョージさん、2008年も今日一日で終わろうとしています。 3ケ月前、ひょんなことから、知遇を得て以来、さまざまな面でご支援、ご指導を頂き感謝しております。 また、ブログの立ち上げにあたって、ひとかたならぬご援助をいただいた、dotechandesu さんや、心よくブログへのリンクをしてくださった成田様をはじめ、このブログを訪れてくださった多くの方々の暖かいご支援に、この場を借りて厚くお礼申しあげます。 アクセス数も4000を越え、老い先短い爺にとっては、またとない励みとなっております。 今年の後半は1929年の大恐慌にも匹敵する世界的金融危機に遭遇し、日本も思わぬ経済不況に喘いでいます。 その1929年に生まれた爺の歳も来年は80の大台に乗ることになり、ひとしお感慨にひたっております。 来る年が、どうか皆様にもより良き年でありますように願っております。・・・・・・
さて、本年最後の記事です。
ジョージさんは憶えておられるでしょうか? 「ドイツ海軍艦船郵便局のNo.ですが、1 から何番まであるのでしょうか?」と、 私のヤフオクでの出品物に関してお尋ねのメールをいただいたのが、そもそもの縁しの始まりでした。 あの時、次のように返事をしました。「艦船局No.が幾つまであるのか覚えていません。 ただ一つだけ記憶にあるのは、第一次大戦当時、横浜山の手にあった山手病院(通称 Bluff Hospital とよばれていた)にあったドイツ海軍の療養施設にもこの一連のNo.が振られていて、実際のNo.が何番かは失念しましたが、このドイツ艦船局シリーズの中では大珍品です」 しかし、この説明は間違っていました。 後日、偶然日専カタログの記載を見て知ったのですが、ドイツ海軍の療養施設には番号ではなく、YOKOHAMA の地名が当てられていて、一連の抹消印では異例のものだったのです。 いまさら恥ずかしいことですが、直ぐにお知らせすべきだったと悔やんでいます。・・・・ ところで、ながながと前置きしたのは他でもないのですが、3日前、イーベイで偶然この「ドイツ海軍艦船郵便局・YOKOHAMA」のエンタを見つけ小躍りし、大して競争も無く落札できました。 出品者はベルギー在住の日本人でした。 下記に紹介しますが、これに関して少しネットで調べたところ、いくつか記憶違いや、新知識を得たので、お知らせします。 まず、山手病院(通称 Bluff Hospital とよばれていた)のは英国系の病院で1867年から1982年に廃院となるまで約120年近く活動しており、ドイツ海軍の療養施設とは全く別のものでした。 ドイツ海軍病院は1878年、現在の横浜・元町近くに創設され、1911年に廃止されるまで、極東配置のドイツ海軍艦船や商船の乗員のための療養施設でした。 この病院にもドイツ海軍艦船郵便局の抹消印が支給され、実際に使われたのは、しかしとても短期間でした。 文献によって多少違いがあるようですが、1900年の前後、数年の間でした。 今回の落札エンタは1903年に病院内の人(と思はれるが、ドイツ語が理解できないので、推察)がドイツのベルリンへ宛てたハガキで、日本の外信連合はがき2銭にドイツ5ペニヒ切手が貼られていて、共にMARINE SCHIFFSPOST YOKOHAMA で抹消されています。 当時の日本在住の外国人は珍しさ故、日本の郵便局から差立てることが多かったのではないかと思われますが、 この病院の入院患者たちも多分日本局を多用した為、エンタの残存数が少ないのではないかと推察しています。 しかし、この葉書が横浜からどう云うルートでベルリン迄運ばれたのかは、残念ながら私にはよく判りません。 どなたかご存知の方がおられたら、教えを請いたいと思います。
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